音楽戦士に娘。

ひっさしぶりにテレビで娘。を見たw
小春卒業持ち込みトーク。題して、
「久住これも卒業して!」
そのテーマで光井が小春に指摘したことは、
「声がでかい」
声が高いうえにゴッツイ。
しかも上からかぶせてくる、
れいなはカメラが回ってる前で
从*` ロ´)<うっさい!
とはねのけたら、そこがDVDに収録されたのだと。
そんな感じで卒業する小春がサンドバック状態でしたw

さて、ここで小春の卒業理由をおさらいしておきましょう。
公式発表はこうなってました。

モーニング娘。7期メンバーの久住小春が「モーニング娘。コンサートツアー2009 秋〜ナインスマイル〜」の最終公演(12 月6 日)を持ちましてモーニング娘。そしてHello!Projectを卒業することを決定いたしました。
(中略)
とは言ってもいきなり歌手デビューとか何々デビューとかそういうことでなく、
まだまだあら削りな部分もありますので、現状の久住で出来る仕事をがんばりつつ、個人的にさまざまなレッスンや習い事をし、本人の希望するモデルとしての新たな出発を目指し、新しいステップに進ませようと思います。
ということで、これまで応援くださった皆様はこれまでどおり、
久住小春」及び「モーニング娘。」を応援くださいますよう、
なにとぞよろしくお願いいたします!

2009 年9 月19 日
モーニング娘。プロデューサー
つんく♂

さらに小春のコメント

いつも応援ありがとうございます。
モーニング娘。として、約4 年間やってきましたが 12 月6 日の東京厚生年金会館モーニング娘。のコンサートをもって、モーニング娘。ハロー!プロジェクトを卒業することになりました。

今後はやりたいことの一つであるモデルに挑戦していきたいと思っています。
今まで、モーニング娘。として活動してきましたが今後は久住小春として色々な夢、
やりたいことに向かって進んでいきたいと思います。

これからも応援よろしくお願いいたします。

ま、確かに小春のスタイルはなかなかのもんです。
なろうと思えばモデルの仕事もできるんじゃないかなと思います。
おやんなさいおやんなさい。


だけんどもぉ、
モデル「だけ」ってのはご勘弁ください。
というのも、
もともと声に特長があるからきらレボやらせたわけで、
小春の武器とも言えると思うんですよね。
モデルになっちゃったら喋らなくてもよくなっちゃうじゃないのw
声に特長があるのに、その特長を活かさない仕事を目指すというのは、なんともMottainai
その声は天性のものなんだから、封印しちゃだめだよぅ。
というわけで、モデル業の傍ら、
歌も歌ってください。
ま、目指すところは、
ピンのマルチタレントになるってことだヨネ。


事実番組の中でも、卒業後何をするのか聞かれたときに、
リo´ゥ`リ<色々な仕事w
って言ってましたんで、
よくある娘。助走のピン売り出しなのかなぁと。
(・・・ピンになってからの方が大変なんだけドネw)
小春ならピンでもやれそうな気がします。
今までの卒メンについては、卒業した後が不安だったんですけど、
小春については卒業後の活動が楽しみだったりします。
バラエティー方面で、道重を食うくらいのウザさを出してもらいたいもんです。
とはいえ、まずは娘。を無事に卒業してくだされや。


そんなわけで小春卒業1ケ月前更新でした。


【小春のポッドキャスト
小春で思い出すことと言えば、武道館で初お目見えした時のあいさつで、
特技がバレーボールっつー話になって、一言、
リo´ゥ`リ<村ではぁ…
“む、村〜!w”
その時初めてといっていいくらい、市町村の「村」を意識したようなもんです。
千奈美ハロモニで特技のバレーボールがブラフであったことが判明するわけですが、
そこは御愛嬌ってやつですかw
その後、豊中で行われた「色っぽい じれったい」握手会で小春と間近に会うチャチャチャンスに恵まれて、
確か最前で見たんですけど、初めて見たときは
磨かれてない国生さゆりみたいだなとか思いました。

垢抜けましたね、このコは。

昨日のOAを見てても思ったんですけど、
「ネアカ」って言葉が似合うコです。
きっとピンでもやっていけるでしょう(笑)

リo´ゥ`リ<ディアーw


【ディアーなポッドキャスト
ポッドキャストですが、
ディアーって言ったら、
どうしても思い出さざるをえないのです。

ロブ・ディアー(外野手)
1994年、阪神タイガース入団。メジャー時代は8年連続20本塁打という反面、8年連続100三振以上というホームランか三振の典型的なバッターだった。キャンプでは凄まじい飛距離の打球を打ちまくり度肝を抜いた。甲子園球場での場外ホームランが期待されたが、開幕してからは外角低めの変化球をことごとく空振りして三振を量産した。三振率はブライアントを上回る驚異的な数字だった。8月に右手親指靱帯断裂で帰国し、そのまま退団となった。成績は70試合192打数29安打8本塁打21打点76三振打率.151だった。その後はマイナーリーグでプレーした。1996年にサンディエゴ・パドレスでメジャー復帰を果たすと50打数30三振(三振率.600)という驚異的な三振率を記録し、この年限りで引退した。引退後はマイナーリーグのコーチとなり、「俺のようなスイングはするな」と指導している。

デトロイト・タイガースセシル・フィルダー、ミッキー・テトルトンと並んでホームランを量産した選手でした。
まあ日本では大型扇風機としてのイメージが強すぎるでしょうが、
実は結構四球も選ぶ選手でして、1991年は四死球を89個(比較までに、昨年のA・ロッドが88個)も選んでいるんですね。
で、四死球89個に対し、安打数が、
80本w
なんとヒットよりもフォアボールの方が多かったなんていう珍現象も起こっているんですね〜。
さすがディアー。
千奈美にその時の打率は.179でしたw(←しかも規定打席以上w)


そんなディアーも実績だけはあるもんですから、メジャーでも高給取りだった方です。
2年連続二冠王に輝いたフィルダーの当時の年俸が175万ドル。
対してディアーは196万6667ドルww
よっぽど良い代理人が付いてたんでしょうね〜(ワラ


ディアーは今何をしているんでしょう。
まさか海の向こうで
リo´ゥ`リ<ディアーw
なんて言われているとは思ってもいないでしょうね。


というわけで、ポッドキャストでした。